レスキュー 篠原秋彦の軌跡
(2002/7/10 有限会社トーホーエアーレスキュー)

篠原さんは 2002年 1月 6日に鹿島槍で遭難救助活動中、救助ネットで遭難者を吊り上げて搬送に移る際、救助ネットに確保を取っておらず、ネットから振り落とされて亡くなりました。このビデオは篠原さんの生涯をまとめたもので、救助活動時に使用していたビデオの映像が大半なので、最近よく見る "警察 24時" みたいな臨場感を感じられます。
篠原さんは 1977年に東邦航空に入社し、25年間で約 1600件、1700人の山岳救助を行い、2000年に長野県警や山岳関係者と連携して救助活動に対応できる民間組織を作ろうと、東邦航空を辞め、別会社としてトーホーエアーレスキューを設立しました。
ヘリで人を吊り上げる場合、本来はホイストという道具を使用するのですが、一度に吊り上げられる人数が 2人と少ないため、篠原さんは本来は荷物を運送するのに使用するネットを改造して救護ネットと作り、それを利用して救助活動を行っていました。これだと、ホイストでは 1時間近くかかっていた救助活動が 5分近くに短縮でき、かつ 1度に多人数を搬送できるため画期的な方法として、東邦航空だけが使用していました。が、この事故をきっかけに救護ネットの使用は全面的に禁止になり、ホイスト以外の吊り上げ方法は使用できなくなりました。
事故報告書を見ると、事故原因を結論付けなければいけないからでしょうが、完全に篠原さん(救助隊員A) のミスが原因とされており、一番最後に取って付けたように「救助隊員Aは、ヘリコプターによる山岳救難を約1,700件無事故で実施し、 た功績により平成13年に財団法人信毎文化事業財団から信毎選賞を受賞していた。」と記述されているのが少し悲しいですね。
ちなみにヘリレスキューの詳細に関しては 文部省登山研修所発行の「山岳遭難救助技術」という本に、救助ヘリの種類も含めて詳しく書かれています。

篠原さんは 2002年 1月 6日に鹿島槍で遭難救助活動中、救助ネットで遭難者を吊り上げて搬送に移る際、救助ネットに確保を取っておらず、ネットから振り落とされて亡くなりました。このビデオは篠原さんの生涯をまとめたもので、救助活動時に使用していたビデオの映像が大半なので、最近よく見る "警察 24時" みたいな臨場感を感じられます。
篠原さんは 1977年に東邦航空に入社し、25年間で約 1600件、1700人の山岳救助を行い、2000年に長野県警や山岳関係者と連携して救助活動に対応できる民間組織を作ろうと、東邦航空を辞め、別会社としてトーホーエアーレスキューを設立しました。
ヘリで人を吊り上げる場合、本来はホイストという道具を使用するのですが、一度に吊り上げられる人数が 2人と少ないため、篠原さんは本来は荷物を運送するのに使用するネットを改造して救護ネットと作り、それを利用して救助活動を行っていました。これだと、ホイストでは 1時間近くかかっていた救助活動が 5分近くに短縮でき、かつ 1度に多人数を搬送できるため画期的な方法として、東邦航空だけが使用していました。が、この事故をきっかけに救護ネットの使用は全面的に禁止になり、ホイスト以外の吊り上げ方法は使用できなくなりました。
事故報告書を見ると、事故原因を結論付けなければいけないからでしょうが、完全に篠原さん(救助隊員A) のミスが原因とされており、一番最後に取って付けたように「救助隊員Aは、ヘリコプターによる山岳救難を約1,700件無事故で実施し、 た功績により平成13年に財団法人信毎文化事業財団から信毎選賞を受賞していた。」と記述されているのが少し悲しいですね。
ちなみにヘリレスキューの詳細に関しては 文部省登山研修所発行の「山岳遭難救助技術」という本に、救助ヘリの種類も含めて詳しく書かれています。

