三浦雄一郎 永遠の少年
(2004/5/21 GENEON ENTERTAINMENT DVD)
"三浦雄一郎" という名前を聞いても、"エベレストの登頂者最高齢記録を作ったおじいちゃん"、"北海道知事に立候補した風変わりなスキーヤー" など、余り良いイメージを持っておりませんでした。ですが、この DVD を見てイメージががらりと変わりました。噂や記録だけで人を判断してはいけない最たる例になりました。
DVD は三浦さんのインタビューと記録映画である『地球を滑った男』の映像を断片的に挿入しながら、これまでの人生を振り返る 1章がメインで、おまけみたいな感じで 2章に息子達へのインタビュー、3章に父である敬三さんのインタビューが入っています。できれば『地球を滑った男』は全編通して見たかったです。
1964年 キロメーターランセ
プロに転向して 2年目にイタリアで開かれていたキロメーターランセ(スキースピード選手権) に参加し、防衛庁の施設を借りて滑降フォームや装備を研究したこともあり、見事当時のスピード記録である、172.084km を出して優勝しました。見てて怖かったのは、滑ってから止まる時に、勢い余って転倒するのですが、その後の板を見ると板が 90度に折れ曲がっています。スキー板ってあんなに曲がるもんなんですね。
1966年 富士山直滑降
結果的に成功しているので、見てても怖い感じはなく、「おー、速いなー」で終わりです。1900年頃から滑られている山なので、当時でも富士山を滑る人は結構いたと思いますが、パラシュートをつけてまで直滑降をしようと考えた人はいないでしょう。時速 150km に達したらパラシュートが開く仕組みになっていたそうです。
1970年 エベレストスキー滑降
これは怖い映像です。当時はまだ日本人はエベレストの山頂に立っておらず、エベレストの登山許可すら取るのが大変だった時代だったため、現東京都知事である石原慎太郎さんの政治力を利用して許可を取り、撮影には石原プロダクションを使っています。
滑降はサウスコルからスタートしているのですが、スタートして 3秒ほどでパラシュートが開き、斜滑降気味に 30秒ほど滑ったところで転倒、そこから 40秒の滑落が始まります。このシーンが一番怖いです。必死にもがいていますが止まりません。ピッケルではなくストックで滑っているため、滑落停止も使えません。途中で板がはずれ、岩にぶつかって減速し、岩の下の雪の吹き溜まりみたいなところでスキーの板を胸に抱えて雪面に引っ掛け、何とか止まっています。助かるとわかって見ているからまだしも、当時の撮影隊はよくカメラを回し続けられましたね。凄いです。
1977年 南極ビンソンマシフスキー滑降
これもまた怖い映像です。南極最高峰ビンソンマシフから滑るのですが、途中の斜面で雪崩にもろに巻き込まれます。滑ってる本人も必死だとは思いますが、見てるほうも怖くなります。
これらの映像だけでもうおなか一杯です。マスコミ等に乗せられているところはあるとはいえ、自分が言うのも何なんですがこの人は本当に冒険家です。三浦さんの昔の著作を読みたくなりました。この DVD はスキーヤーにもクライマーにも、また、夢を追い続けるとは? 冒険とは? と模索している人にもお勧めできる 1本です。
昔の映像の特徴なのか、『地球を滑った男』のスキーで滑っている映像には "ギューン" とか "ピューン" とか昔の戦隊モノに入っているような妙な効果音が入っていて笑えます。





コメント (4)
今はスキーエクストリーム関連のビデオは溢れているので雪崩れの映像も豊富ですが、この当時は貴重だったのではないでしょうか。
投稿者: えのきど。 (2004年05月28日)
ビンソンマシフ滑降の映像は、外国のクイズ番組で雪崩が起こった時点で一時停止して
「この男は生きているか、死んだか」
という使われかたをしたことがあるそうですよ。何かの番組で本人が言ってました。
投稿者: まっしま (2004年05月26日)
聖母峰さんはじめまして。
確かに書き方が悪かったですね。少し修正します。著作は先ほど入手しましたので読んでみたいと思います。
投稿者: えのきど。 (2004年05月26日)
はじめまして、RUACの聖母峰と申します。DVD未見なのですが、えのきどさんの表現ですと石原氏が主体的にプロデュースしたように感じられるので書き込みます。70年のスキー隊は、石原氏とは別にバックスポンサーの方がいたと記憶しています。詳細は三浦氏著書の講談社文庫「エベレスト大滑降」一読下さい。遠征隊出発までの裏面と、滑降の際に三浦氏が何を感じたかが詳しく書いてあり、おもしろいですよ。
投稿者: 聖母峰 (2004年05月26日)