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海外高峰登山の潮流 - 池田常道講演会

海外高峰登山の潮流 - 池田常道講演会

都岳連海外委員主催・「第 20回 海外の山を知ろう」 では池田常道さんに、「海外高峰登山の潮流」というテーマで講演をしていただきました。



池田さんのお話は 1956年の槇有恒のマナスル(8125m) 初登から始まりました。

日本のヒマラヤでの登山スタイルは最初にマナスルがあり、その後はすべてそのスタイルを踏襲するというマナスル病にかかりました。

いわゆる、大量に物資を投入し、フィックスロープをベタ張りする包囲法のスタイルです。この流れは 1980年代まで続きます。

そんな中にあっても、1959年の飯田山岳会によるサルバチュム(6918m) 初登、1962年の全日本岳連隊のビッグ・ホワイトピーク初登(7083m)、1964年のギャチュンカン(7922m) 初登といった日本山岳会以外の会や1962年のインドラ山インドラサン(6221m) 初登、1964年のアンナプルナ南峰(7256m) 初登といった京大隊の成功は注目に値する記録でした。

飯田山岳会の隊は 30万で行けるような遠征を目標にしていました。また、京大を始め、同志社や慶応、明治などの学生隊も頑張っていました。

それに対して他国は、1963年にアメリカ隊がエベレストで西陵から南東稜へのちょっとした縦走をした時点で、日本隊のようなスタイルから脱却し、1975年のイギリス隊のエベレスト南西壁で巨峰におけるメジャーな壁の登攀も主なモノは終了となりました。

このエベレスト南西壁は皮肉にも 1969年と 1970年に日本隊が行ったエベレスト南西壁の試登時の情報が使われており、このときの日本隊は植村直己さんらの南東稜からエベレスト本峰への登頂を優先させたため、小西政継さんらの南西壁は断念しており、チャンスをうまく生かせていません。

ちなみにエベレスト南西壁にはその後も 1971年1973年に RCCII が分裂するきっかけになった遠征を行っているものの、結局南西壁は失敗し、加藤保男さんらを南東稜から登頂させるにとどまっています。

その後の 1977年の日山協隊の K2(8611m) も登頂を優先させたため、結局は初登のイタリア隊のルートを踏襲するにとどまります。しかしながら、日本のマナスル病スタイルは人を育てるという面ではいいようで、この K2 隊からは広島三朗、森田勝、重廣恒夫などを輩出していおり、登山学校という側面もありました。



1970年代は日本隊は遭難が多いと思われていたようで、このときに、その後の悪しき風習となる推薦状問題が起きます。

当時はネパール・パキスタンで登山を行うには、日本山岳協会(?) / 文部省(?) による推薦状を各国政府に提出する必要がありました。しかしながらこの制度は、日本側が勝手に作った制度で、ネパールはまだしも、パキスタンに関しては実際は全く推薦状は必要なかったようです。

また、当時は外貨枠の制限もあって、自由に海外へ行くことはできませんでした。他にも遠征を行うためのスポンサー探し、先の推薦状問題など実際の登山以外の政治的に解決しないといけない問題が多々ありました。

そんな状態だったため、日本山岳協会系列で許可を独占していたため、労山隊は実質ネパール・ヒマラヤに入ることはできず、インド・ヒマラヤを中心に登山を行っていました。

この頃の目立った記録としては 1971年の静岡登攀クラブによるサラグラール南西峰(7184m) 西壁初登攀、1976年の戸田直樹隊によるチャンガバン南西稜初登攀があげられ、クライマーの視点によって登られた記録になります。

1978年の秋に行われた群馬岳連のダウラギリI峰(8167年) 南東稜隊では雪稜のフィックスロープ上での事故によって木暮勝義さんら 4名が亡くなり、プレ・ポストモンスーン問題が起きます。春の東京ヒマラヤ登山隊の南陵では問題にならなかった雪の問題がポストでは起きたそうですが、これまでは慣習的にプレモンスーンに登山が行われていただけで、特に根拠がなかったため、その後の問題にはなりませんでした。



ラインホルト・メスナーによって 1978年にエベレストが無酸素で登頂され、世界的に無酸素の流れができあがります。しかしながら日本隊が 8000m峰の遠征で行動用の酸素を使わなかったのは 1979年の静岡県岳連のアンナプルナI峰(8091m) の遠征が初めてで、完全なる無酸素は 1980年の山学同志隊によるカンチェンジュンガ(8598m) 北壁初登が最初になります。



1978年、静岡登攀クラブによるパインターブラック(7285m) 南壁の遠征は、南壁は登ったものの、山頂直下 10m で登頂を断念したため初登とは成りませんでした。似たようなことは 2006年の JAC東海支部による冬季ローチェ南壁(8516m) 隊でも問題になりました。日本では谷川や錫杖のルートを登っても山頂までは行かなくても登攀自体は成功と見なしていますが、ヒマラヤの場合は壁のルートであっても、山そのものが対象となるため、山頂まで行かないと登頂とは見なしていません。



1978年に中国の山が解禁になり、地理的に近かった、情報が結構あったこともあって、登山料や撮影料が高額であったにもかかわらず日本隊が押し寄せます。ただその当時は正確な情報を欧米に対して発信しなかったこともあり、レベルの高い遠征があったにも関わらず正当に評価されていません。



1982年の日本ヒマラヤ協会によるブリクティ(6720m) 初登、1983年の弘前大隊によるネムジュン(7139m) 初登は目的となった山とは違う山に登頂しています。ネパールの用意している山のリストが曖昧で、山座同定が難しかったことが原因です。特にブリクティはそれっぽい山 4座を登るということをしています。ネムジュンに関しても当時はヒムルン・ヒマール(7126m) とされており、ネムジュンと分かったのは 1992年です。



近年のヒマラヤ登山はアラスカ・ヨセミテの感覚で登るクライマーと公募隊のガイド登山で登るお客さんの 2極化しています。

ガイド登山は問題のあるガイドや登山隊が多く、日本の場合はシェルパが多くてガイドが少ないという隊が大半で、問題になっている。特に酸素の使い方が問題で、高度順化のために 7000m前後まで上がるとかえって疲れてしまうお客さんが多いため、生身で 7000m前後まで上がるタクティクスは取らずに、最初から最後まで酸素を使って一気に登らせるパターンが多く、順応不十分による事故も増えている。

この酸素の問題に関しては講演会の Q&A で労山の近藤和美さんも問題視しておりました。



先鋭的なクライマーに関しては、自力で情報を集められるかどうか、クライマーとしてどこを登るのかといったセンスの問題であり、無理をして遠くまで行かなくても、チベットにもまだまだ未踏峰は無数にある。



手元のメモを元に再現してみましたが、根本的な間違いはないはず。間違っていたらすいません。知らない山ばかりでまだまだ勉強不足。池田さんの偉大さがよく分かりました。個人的には近年の遠征までやって欲しかったところですが、たぶんそうなると 5-6時間はかかってしまうんだろうなぁ。



その後の飲み会での野口病に関する議論も面白かった。竹内洋岳さんによると現在の遠征隊はメディアに対してきちんとした登山内容の説明をしないため、七大陸だとか単なる最高峰、最年少など間違った価値観が横行しており、非常に問題になっている(野口病)。少しずつでいいので正していくべき。


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コメント (3)

コメントありがとうございます。

重箱の隅でも、非常に助かります。ご指摘感謝です!!

インドラ山 → インドラサン
RCCII のエベレスト南西壁は 1973年

の間違いでした。修正いたします。

中国解禁の年は確認してみます。

こっちも重箱の隅つつくみたいですが、RCCⅡのエベレスト南西壁は73年秋です。
71年は植村直己さんらが参加した国際隊では?

拙ブログに的確な補足いただき、お世話になっております。

<<1962年のインドラ山
→インドラサン(IndraSan)
<<1978年に中国の山が解禁になり
→1980年では?イランなど一部の国は80年以前から中国と合同登山は展開していたようですが。
 重箱の隅つつくようですみません。
 話題がマナスルから始まってヒマラヤ登山史を総合的に振り返る内容だった御様子で、行ってみたかった・・・

 七大陸の最年少というタイトルは、海外メディアを拝見していても、いくトコまでいっている(10代の連中が競っている)状態ですので、歯止めはど~するのという感じですね。


 
 
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