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Half Life(クリス・シャーマ インタビュー)

リクエストがちらほらとあったので、先日、Climbing Magazine に掲載されたクリス・シャーマのインタビューをだーっと超訳してみました。細かい突っ込みは勘弁。

原文
Half Life (Climbing Magazine)

クリス・シャーマは、クライミングの世界において、あらゆる点で「次世代」を体現してきた。彼は人生の半分に当たる15年間、常に新たなスタンダードを確立し続けている。そして4月23日、彼は30歳になる。

「シャーマ以前」、「シャーマ以後」で時代を分けることができる。
天才少年としての10代から20代にかけて、クリス・シャーマは見る者を魅了し、初登した、Necessary Evil, The Mandala, Realization, Witness the Fitness, Dreamcatcher, Es Pontas, Jumbo Loveなどのルートだけではなく、謙虚な態度でも感動を与えてきた。柔らな語り口や落ち着きは、National ChampionshipやXゲームでは場違いに感じられたほどだ。勝利はクライミング自体に織り込み済みであったかのようで、それはクライミングというスポーツの中にある競争性や自己陶酔的なこだわりに対する勝利でもあった。加えて、その自由なスタイルは大いに見ものであった。

昨年の10月に、コロラド・ボルダーにあるベーグル屋の外で、スライドショーに来ていたシャーマをつかまえ、3時間のインタビューをおこなった。やせ細っていた15歳のときと同様のモチベーションを維持し、クライミングの世界で頂点を極めようとしていることは明確にわかった。彼は、この先、今まで以上にハードなクライミングをすることになると強く信じている。しかし今や家を建て、3年間付き合っている彼女のほかに犬もいる。髭には少し白いものが混じっているが、クライミングに関しては、クライマー全員が共有すべき英知を持っている。驚くようなことではないだろう。運動の才能は先天的なものだが、人に何かを与え続ける才能、人を導く哲学は時間をかけて試されるものであり、シャーマの才能はその試練に耐えた。



君は「神聖なクライマー」というイメージで語られるけど、これは正しい?
そんなイメージで言われるかな。世間の人や取材者は何かと型にはめたがる。イメージが間違ってはいないけど、それがすべてを表しているとも思わない。僕は自分に正直に、真摯であろうとしているだけ。戦略的に何らかのイメージを作り上げようとはしていない。

プロクライマーとして自分を見失わないために心がけていることはある?
クライミングに行くのは、本当にクライミングがしたいからであって、誰かを負かすとか、世界に何かを示すためではない。ただ、クライミングにもプロフェッショナルな部分はある。仕事みたいなものだし。だけど、公私を別々に考えられるいい方法を見つけた。メーカーの製品発表会やコンペ、スライドショーなどに参加するときは時間に正確なプロクライマー。

クライミング中に、ただノルマをこなしているだけの気分になることはある?
もちろんあるよ。それは決まりきった同じプロセスだから。同じルートを何度も登るような感覚。常に純粋な気持ちを持ち続けるのは困難だ。そんな状態でいたいと思っても、自分自身を失わないようにする気持ちが妨げられたり、できるはずのクライミングができなくなったりもする。Realizationを登った時は、疲れていて、筋肉痛になってもいいから、ムーブだけでも覚えておこうという感じだった。そう思うことで、あまり深刻に考えすぎないように自分に言い聞かせ、自由な気持ちでクライミングができたと思う。

コンペでも同じことが言えると思う。参加することに悲観的なときに、良い成績を収めていることが多い気がする。自分自身を信頼しているのだろうといつも言われる。それは間違ってないとは思うけど、どちらかというとプレッシャーを取り除く作業の方が重要。今日は勝てそうもないと思ったときは、流れに任せて楽しむようにしている。そうすると勝つことに煩わされなくなり、とてもいいクライミングができる。自分をうまくだます以外の方法を知らないので、自分自身に語りかけてだますようにしている。

コンペに出ると、誰もが優勝を期待している。これは厳しいでしょう。ある意味、どっちに転んでも良いことがないのでは?
コンペ対してはかなり複雑な気持ちを持っている。たいていの場合、コンペのための準備はしない。ただ、クライミングのコミュニティに参加して、クライミングや自分自身を他の人々と共有するだけのことだと思うようにしている。

個人的には、コンペが僕の本当の仕事だと思ったことはない。コンペは楽しいけど、終わってから15分後にはもう忘れてるよ。僕にとっては新ルートを開拓したり、クライミングの新しい次元をを切り開くことの方がより重要。次世代の目標になるような永続的な課題を作ること。97年のワールドカップで誰が勝ったかなんて誰も覚えてないけど、Action Directeを開拓したクライマーは記憶に残っている。

生い立ちについて少し訊かせて。ヒンドゥー教の寺院で育ったんだよね?
両親は二人ともババ・ハリ・ダスの教え子で、結婚したときにシャーマという名前を選んだ。「幸運」とかそんな意味。インドではよくある苗字。カリフォルニア・サンタクルーズにあるマウント・マドンナ・センターの学校に通ってて、サンタクルーズに住み、毎日学校までの道を登ってたけど、センターに住んでいたわけではない。

そんなバックグラウンドは、クライミングを始めたばかりの時に何か影響あった?
「僕はクライマーだ、登りに行くぞ」って感じで脇目もふらずにクライミングに熱中してたわけではない。それは、僕のバックグラウンドに関係してるし、友達とも関係してる。子供の頃の親友であるアンディやスターリン、それとサンタ・クルーズの親友たち。彼らとは一緒にクライミングをした仲ではなかったし、有名なクライマーになることは全く考えていなかった。

何がクライマー人生へと駆り立てたの?
14歳のときに National Championshipで優勝したこと。そういう心躍る機会がいくつかあった。でも17歳のとき、片膝をひどく痛めてしまった。これは精神的に堪える経験だった。クライミングが突然できなくなくなったから。で、本腰を入れて進路を考えた。怪我をした代わりに高校に通ってGEDを取ったけど、そこでの生活は基本的には勉強だけ。16歳のとき、トミー・コールドウェルと一緒に、フランスをヒッチハイクで回ってクライミングをしたけど、これはいい勉強になった。旅をしたり、人と会ったり、人生経験をしたり。たぶん数学はあんまり勉強できていない。

学校に通った人はだいたい同じことを言いますよ。
だね。でもクライミングは本当に真剣に取り組んだ。それが自分のやりたいことだったから。で、卒業してすぐに膝を痛めてしまい、一年間クライミングができなくなった。あれは本当に辛い時期で、凄くへこんだ。

復帰のいきさつは?
18歳か19歳の頃だけど、展示会でクリスチャン・グリフィスに会った。僕はすでに一度、Realizationにトライしたことがあったけど、彼はもう一度トライしないかと、僕を駆り立ててくれた。彼が僕に言ったのは、Realizationはもう一度トライすれば夢中になれる何かだってことなんだ。その時点で、僕は自分が何をしたいか分からなかったし、学校へ戻りたいのかすらも分からなかった。僕は順調にやってると思ってたし、やりたいこともたくさんした。でも、何か違うことをする前に、Realizationこそがやりたいことだと思った。

色々と旅をしたけど、その中でもアジアは随分と行った。日本では、森の中で寝たりしながら、四国を1600キロ一人で歩き回った。タイやビルマ、インドの瞑想場にも行った。こういった旅が自分の人生全体の大部分を占めている。で、クライミングはそれに比べれば、だいぶその他って感じ。僕はRealizationにトライしたけど、それはちょっと例外。膝を怪我したときは本当にみじめだったし、クライミングは僕の人生のほんの一部でしかないということに気付いた。

そんな感じでぼくは復帰し、恋人もできた。で、マヨルカ島に行ったら、完全にDWSにはまった。海岸にかぶった岩壁が続き、グランドアップでオンサイトトライができる。すごく綺麗な場所だ。

膝の怪我のことでスポンサーと揉めたことは?
その点ぼくは幸運だった。prAnaのビーバーは、僕のことを小さい頃から知ってて、いつもぼくを信頼してくれていて、一人の人間として成長していくのに必要なものを配慮してくれていた。そのことに僕はすごく感謝してるし、結局はそのことが、スポンサーと揉めたかどうかというイメージを助長したのかな。ただ自分らしくいられたことが、僕が典型的なアスリートではないというイメージを作った。

あのゲーム(グレーディング?) をやっていなかったのはラッキーだった。僕は自分のクライミングではグレーディングしなかった。僕は自分が登りたいように登れたし、ジョシュやブレット・ロウェルといった人たちに出会い、彼らに撮影してもらえたことは本当に幸運だった。

それでは、神聖なクライマーというあなたの通り名について...
「神聖な人間」でいるって考え方の気に入らないところを説明するとこんな感じ。「僕は神聖な人間だから穏やかに振る舞うよ、聖人か何かになりましょう。」ってこと。でも、むかついたときは、穏やかに振る舞うよりも、むかついた態度でいる方がずっと真実なんじゃないかな。

僕はもう長い間スペインに住んでるけど、スペインの人は、にぎやかで、感情的になりやすいけど、嘘がない。欲求不満な事もさらけ出す感じだし。僕が仏教から学んだものが目標地点で、自我がどうであれ、自己のイメージに囚われず、でも実際は自分らしくあるってことだ。

「30歳でクリス・シャーマは、”神聖なクライマー”という枠から脱した」と言えるかな?
そんな風に型にはめられると、間違いなく自分らしさがなくなってしまう。「こういういった話しをさせていただけるとは光栄です」、みたいな。ぼくはただ、自分が聖人か何かだっていうイメージは作りたくない。フラストレーションが溜まれば、元気もなくなる。

クライミングが嫌で嫌で仕方なくなることは?
たまにはあるけど、そんなにはないかな。あとワンムーブってところで 50回も落ちてたら、嫌にもなるよ。でも、「大丈夫」「全然問題ない」「どうってことない」って自分に言い聞かせてる。ダイラからはたくさん学んだ気がする。彼女は本当に自分の感情に正直で、典型的な情熱的でラテン系な女性。だけど、すごく自分の気持ちに素直だ。

ダイラとは真剣に付き合ってるの?
うん、付き合いはじめてもう3年くらい。

結婚は考えてる?
まだ分からないけど、するかもね。

子供は?
考えた事はあるけど、犬が先。今はChaxiという黒い犬を飼ってる。スタートとしては良い感じ。

カタルーニャエリアと住んでる家の事を聞かせて。ベースとなる家があるのはどう?
ベースとなる家があるのは人生で初めて。3歳の時から、父と母の家を一週間単位で交互に住んでたし、10年間のほとんどを路上で過ごし、家と呼べるものはなかった。スペインでダイラと過ごしているうちに、Lleidaに住むことになり、今は友達も来てくれるし、コミュニティを作る事も出来た。

今住んでいる場所はどう?
周りにはオリーブやアーモンド、桃の木が植えてある農園や果樹園の様な場所がたくさんある。人口が100人位の小さな村に住んでいて、風景はマリポサを通ってヨセミテ渓谷に行く時の景色に似ている。気候も似ていて、こっちの方が標高は600mほど高いかな。最も近い岩場までは歩いて10分程度。

どんな生活?
まあ、その時の状況にもよるけど、シーズン中は基本的に「家での仕事はなし」。週 5日は岩場へ行って登ってるし、そのための移動も結構ある。冬だと、日が暮れるのは早いけど一時間半のドライブで家に帰る事も特に問題ない。

今トライしているプロジェクトはある?
マルガレフに 2つのプロジェクトがあって、1つは”First Round, First Minute”、もう 1つは去年の秋にボルトを打ったライン。今はこの 2本に集中してトライしている。

ボルトは打ったけど登れてないプロジェクトは何本くらいある?
たぶん 10本。

次の世代のために諦めているラインはある?
オリアナ(Oleana) に、トライしたけど登れなかったルートが一本ある。それぞれのムーブが本当に難しく、間違いなく 5.15c か d レベルだと思う。本当に凄い。ホールドが小さく、僕の得意系ではない。

昔は常に一つのルートに全エネルギーを集中させていた。クラーク・マウンテン(Clark Mountain) に行くと決めたら、砂漠でキャンプをし、登れるまでずっとそこにいた。それはそれでいい経験だったけど、砂漠で生活するのは大変で、いつも時間の制約があった。でも、スペインにいると、次世代のラインになりそうな素晴らしいプロジェクトに取り組みながらも、僕は普通の日常生活を送り、ベースとなる家に少しずつなじめている。

あなたにとって初めての事なのね。
僕はここに落ち着く覚悟が少しずつできている。誰かの家の床に寝ているわけでもなく、どこか海外を転々としてキャンプしているわけでもない、自分の家にいることができる。そして、今は時間がたくさんあるので、もう少し難しいルートにトライしてもいいと思う。

今トライしているルートはこれまでで最難?
今トライしているプロジェクトの中には、これまでの最難ルートもあるけど、そうじゃないのもある。

新しいレベルに達すると、すぐに誰かが「次のグレードにはいつトライするの?」みたいなことを聞いてくる。5.15a から 5.15b に達するのに 7年もかかった。「5.15b を何本か登ったから、じゃあ5.15c にはいつトライするの?」みたいな感じには行かない。そんな単純ではないし、そうあるべきでもない。グレードが上がると、いつも大きな違いがあるように思っている。

僕は色々なルートにトライするのが好きで、ジャンボ・ラブ(Jumbo Love) のような長いルートも、本当に短いボルダリングの課題も素晴らしいと思う。

プロジェクトの中には短い課題もある?
12m くらいのがある。僕はボルダリングが大好きなんだけど、住んでいるエリアには、余りボルダーが無い。ただ、トライしている短いルートには v14 のボルダーセクションがあり、そのセクションで、ボルダーっぽいスタイルで登れるのは楽しいし、素晴らしい。

僕はスタイルをミックスして、いつも新しいことを考え出そうとしている。例えば、ボルダリングとルートクライミングを融合したようなスタイル。こうすることによって僕はモチベーションを保っている。

ルートとボルダーのミックスって言ったけど、新しいことにも挑戦してるよね。ザイオンのムーンライト・バットレス(Moonlight Buttress) とかヨセミテ・ロストラム(Rostrum) とか。エルキャプのノーズをオンサイトトライしたって噂があるけど、本当? (笑って) 彼女と 2人でトライしたよ。オンサイトトライの時は、いつもフラッシュしようと頑張るんだけど、7ピッチ目で落ちちゃった。12c くらいかな……

7ピッチ目ということは……ストーブレッグ・クラックにトラバースするところ?
そうそう、そこ。やり直しができればいいなぁと思う。戦略的にうまくやれたかどうか自信がない、荷揚げとか。で、結局ロープをフィックスして下降したけど、次の日に起きたら 2人とも疲れきっていて駄目だった。あ、そうだ、いま 2人で、ボルダリングをやろうとしている。もっと高所でクライミングがやりたい。スポートクライミングでやってきたことを、もっと長いルートに応用してみたい。180m から 300m くらいのオーバーハングした壁を見つけて、そこに 5.15 のラインを探りたい。でも、シングルピッチのスポートクライミングでまだやり残したことがある気もしている。改善点もあるし、まだ登ってないハードルートもあるから。

でも、もうすぐ 30歳になるけど……
覚悟はできてると思うんだけど……

落ち着く準備だね。家も建てたし、犬もいるし……
そうかもしれない。でも、この秋に登ろうと思ってるプロジェクトがいくつかある。それに、僕はルート開拓が好き。既成ルートをリピートするよりずっと。ルート開拓は、まず対象を見つけ、可能性を夢見、トライできるように努力するっていうプロセス。

さっきのポイントに戻るけど、ベースとなる家を作ったのは、よりハードなクライミングにトライするためのステップなのかな。
そうだね。スペイン出身の強いクライマーもたくさんいるし、家がある場所は、1990年代の初期から半ばくらいの南仏に匹敵するような場所。1時間半で行ける岩場に、5.15のラインが 15本もある。スペインは、今、本当に奇跡の瞬間にある。

世界中を旅していたのでは、次のレベルには到達できないということ?
去年、中国の陽朔に行ってボルトを打ち、すばらしいルートを 4本作った。これは本当にすごいプロジェクト。でも 3週間しか滞在できず、時間切れでどれも登れなかった。さっきも言ったように、モハーヴェ砂漠(Mojave) でキャンプをするような生活は人間関係に負担をかけることになる。ありがたいことに、ダイラはクラーク・マウンテンに 5回も一緒に来てくれた。でも、あたりを見まわして「まったく理解できない。こんな岩場はスペインにいくらでもあるのに……」って言うんだ。

すばらしいルートを見つけることには価値があるけど、よりハードなクライミングを追求して行くゲームは、毎週やるにはきつい。毎年でもきつい。人間関係を駄目にしてしまうし、割りに合わない。

じゃあ、またグレードの追求をしてるの?
そうだね。面白いよ。どうしてまたグレードをつけるようになったのか訊かれるんだけど、グレードが一番重要なことではないけど、まったく気にしないのも、盲目的かなって感じていた。だけど僕の場合、結局は凄いルートを見つけられるかどうかが重要で、ハードルートにトライするモチベーションはそれだけ。

プロクライマーをやめたら、クライミングにはどう関わって行くの?
クライミングをやめても、他のプロクライマーがどう進化していくのか一生見ているつもり。トニー・ホークは、スケボー業界とずっと上手く関わってる。あとは、マイク・タイソンみたいなのもいるか。彼は破滅しちゃったけど……

君はどっち系だと思う?
(笑って) 破滅するのは避けたいね。今朝、ブーン・スピードと話したけど、彼はすばらしい例。デザインと写真を通じて、ずっとこの業界とつながっている。

それで、具体的にどうするの?
本気でやりたいのはクライミングシューズのデザインで、明日イボルブに行く予定。あとは、Yo Base Camp っていう子供向けのクライミングキャンプがあって、親友のアンディ・プーヴェル(Andy Puhvel) と彼の奥さんのリサ(Lisa) がやってる、小さな夫婦経営のキャンプなんだけど、その子供たちのために、シャルマ基金っていう奨学基金を作ってる。僕が子供の頃は、地域のクライミングコミュニティにたくさんお世話になったし、もしそれがなかったら僕は今日ここにいなかっただろうし。




しかし今は、まだ現役で…
できる限りは限界を追求し続けるつもりだけど、自分がベストクライマーでないと悟る時が来るだろう。いつも旅をしていて感じたことは、素晴らしい体験をすることである。すばらしい人々と出会い、繋がりを持つことだけど、どこでもそんな繋がりが持てるわけではない。僕の家族は友人たちである。僕には兄弟がいないし、母は亡くなっており、他の親族とも特に親しいわけでもない。年老いた時のために、この 10年で何かを作り始めようと思っている。

スライドショーは、もう勘弁…
ちょっと悲しいことかな。スペインではバランスを見出そうとしている。クライミングは続けるけど、それ以上に、人生のような何かまた別の物も築き上げている。つまり、今はプレッシャーから大いに解放された気持だ。新しい、より若い世代が新たな基準を打ち立てつつあり、今は、より大きなプレッシャーが彼らにのしかかっているだろう。でも、僕はまだそれを楽しんでいられる。状態はいいし、活力に満ちてるから。でも、何かにしがみつくようなこだわり方はしたくない。僕には帰る家と女性がいるから心から幸せだ。




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