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2010年10月20日

アダム・オンドラ、マダガスカル島でTough Enoughをワンデイフリー初登

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Tough Enough (5.14b) - Karambony, Madagascar
© Jack Geldard - Editor - UKC

10月上旬に、チェコ(Czech) のアダム・オンドラ(Adam Ondra/17) がアフリカのマダガスカル島(Madagascar) の Tsaranoro Valley・Karambony の東壁で、Tough Enough(370m F8c(5.14b)) を初めてワンデイオールフリーで完登しました。通算第 4登(?)、オールフリー第 3登(?)。

Adam Ondra is Tough Enough on Tsaranoro in Madagascar (Planetmountain)
Adam Ondra has carried out the first free ascent in a single day of Tough Enough (8c, 380m) on the East Face of Karambony in Tsaranoro Valley, Madagascar. He concluded his trip by repeating Bravo les Filles (8b, 600m) and making the first free ascent of Mora Mora (8c, 700m).

このルートは花崗岩からなる 10ピッチのラインで、最難グレードは 8c(5.14b)。彼は 10ピッチ中 8ピッチをオンサイトし、残りの 2ピッチ(7p, 9p) も 2回目のトライでレッドポイントしています。

各ピッチのグレードは12b/c, 12d/13a, 13c, 12c/d, 13c, 13c, 14a, 14a(オリジナルラインは14b), 14a, 13dです。

彼はトライ初日にこのラインを登っていますが、8ピッチ目が別のラインだったため、オリジナルラインを 4(3?)日後に登り直しています。

2005年にドイツチーム(Daniel Gebel, Ari Steinel, Uschi Beer, Joachim Seitz) によって人工で開拓されたラインで、2007年にフランスチーム(フランソワ・ルグラン(François Legrand), Giovanni Quirici, Greg Sobzack, Evrard Wendenbaum)によって 2年をかけてフリー化されています。

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Tough Enough (5.14b) - Karambony, Madagascar
© Jack Geldard - Editor - UKC

2009年には UK の James McHaffie と David Pickford もトライして、フリーで抜けていますが、ワンデイではなく、全ピッチをワンデイフリーで登ったのは今回が初めて。

壁は南東面を向いており、昼間はアフリカ特有の強い日差しが指すため、彼は早朝の気温が低い時間帯(5:00 - 8:30) にトライし、昼間はポーターレッッジで休憩、日が陰ってから再度トライする形で登りました。今回のルートについてはフランソワ・ルグランから話を聞いたようです。

花崗岩特有の細かいホールドで、ぬめりとの戦いだったようで、発汗防止剤(Antihydral) を使用したそうです。


フランスチームのトライ動画。

また、彼は今回のツアーで他のクラシックルート、Bravo les Filles(8b(5.13d), 600m) とMora Mora(8c(5.14b), 700m) の 2本も登っています。こちらはリラックスして登れたとのこと。

Bravo les Filles は1999年にリン・ヒル(Lynn Hill) をリーダーとするアメリカチーム(Beth Rodden, Nancy Faegan, Kath Pike) が開拓したルートで、ビデオにもなっているので、ご存じの方も多いかも知れません。このラインは 2004年にスペインのポー兄弟(Pou brothers) によってフリー化されています。


アメリカチームのトライ動画

一方の MoraMora は 1999年 9月にスペインの Francisco Blanco と Toti Vales によって開拓されたラインで、フリーで登られたのは今回が初めてです。

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More More(5.14b)
© Jack Geldard - Editor - UKC

8a.nu に掲載されているインタビューを見ると、この 9月 - 10月は、遠征続きのため、普段通っている高校の授業の 7割は欠席だそうです。トータルで 7割出席すればいいようですが、大変そうです。

関連情報
Tough Enough, international challenge on Tsaranoro, Madagascar (Planetmountain)[2007年のフランスチームの記事]
Adam Ondra is Tough Enough - Madagascar (UKC News)
8a.nu Forum Topic: Madagascar MP by Adam Ondra (8a.nu)



2010年10月29日

[映画] 断崖のふたり

第23回東京国際映画祭で上映された『断崖のふたり』(原題は「NANGA PARBAT」) を見てきました。正式公開は来春の模様です。

*ほとんどが映画のネタバレになりますが、メモを取らなかったので、シーンの順番や内容には間違いがある可能性があります。ご了承ください。

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1970年に、ドイツ隊によって行われた、世界第 9位の高峰・ナンガ・パルバート(Nanga Parbat/8125m)・ルパール壁への遠征を描いた映画で、ラインホルト・メスナーの 2002年の著書『Der nackte Berg - Nanga Parbat』(邦題は『裸の山 ナンガ・パルバート』) をベースとして製作されました。この遠征は、ラインホルト・メスナーにとって最初の 8000m峰への遠征となり、現在もまだドイツ国内でくすぶってる禍根を残す遠征となりました。



弟のギュンターとペアを組み、イタリア・ドロミテの壁をフリーで初登するシーンからスタート。40年以上前の出来事なので、ビレイはもちろん肩がらみで、靴も当然のように革の登山靴。稜線直下のピッチで、リードはラインホルトでギュンターがビレイ。

ギュンターは終始、「もうロープがない!!」という叫びを繰り返す。しかしラインホルトはアンカーを作ら(れ)ず構わずに登り続ける。難所を越え、結局ロープを一杯一杯まで伸ばして、ビレイポイントを作ってからピッチを切る。セカンドで登ってきたギュンターが一言「どうして途中でビレイ(確保) を全く取らなかった?」と言う。

ここで ??? である。一般の人にもわかるようにこのような「確保」という訳にしたのだろうか? ここで言う、ビレイとはランニングビレイ(中間支点) のことであり確保のビレイではない。せっかくのシーンなのにもったいない。一般の人には当然ながら ??? だけど、クライマーにも ??? である。

そして、稜線に抜けて、ラインホルトが弟に「次はどこへ行く?」と聞き、「もうこんな怖いのはこりごり」と言いつつも、「誰も登ったことがないところを登りたい(キリッ」とドヤ顔で決める。



次は、彼らの幼少時代にさかのぼる。10m程度の石垣をオブザべしてからパラレルに登り始める。登り切ったところは教会の墓地、牧師さんに登っていたところを見つかり「ここは遊び場じゃない、墓地だ。」という叱責を受けるが、「そこに壁があるのが悪い(キリッ」と見事な返しを決める。



家族で食事のシーン。ラインホルトはクライマーでもある父親に文句を言われるも「親父の方が登るの下手じゃん(キリッ」と本音で返し、親父涙目。



教会のミサに参加するも、弟のギュンターと教会の内壁をどうやって登るかを、あーでもない、こーでもないとオブザべしながら議論を始める、クライマーとしてもうすでに将来有望な状態である。

その後、教会の鐘楼に登り、弟と夢を語り始める。「マルモラーダ南壁」「アイガー北壁」「マッターホルン北壁」「ヘルマン・ブール△」「ナンガ・パルバート△」。



そして月日は流れ、当初はラインホルトだけが招待されていた、ナンガ・パルバートへの遠征に、結果的には兄弟そろって参加できることになる。ラインホルトはクリスマスに招待状を直接弟に手渡す。クリスマスなのに男二人で寂しいな、おい。そして、母がラインホルトに一言「ギュンターをきちんと連れて帰ってきてね。」と死亡フラグ。



そしてナンガ・パルバート・ルパール壁遠征のシーンに入る。退屈なキャラバン、ルート工作、隊長であるヘルリッヒコッファーとの対立、信号弾、ラインホルト単独でのアタック、「そんな装備で大丈夫か?」という格好で後を追う弟、「大丈夫だ、問題ない。」、そして登頂、後続パーティとのやりとりの齟齬、ディアミール壁下降の決断、そして決死の下降。結果的には弟が行方不明となり、命からがらパキスタンの小さな村に着く。

地元の人の送る視線がみんな異様に冷たいのが気になった。ラインホルトはふらふらになっているが、地元民は遠巻きにチラッチラッツと視線を送るのみで、積極的に助けようとする人は皆無であった。最終的にはジャケットやゴーグルなど、装備との物々交換を経て、食料を分けてもらったり、搬送してもらいつつ、小さな街を経由しながら、帰国の途にあった本隊と奇跡的に合流する。

そして、回顧のシーンがあって終了。メスナー視点で作られた映画ですが、特にメスナーが英雄視されているわけではなく、フラットに淡々と描かれています。

他に目立った点として、全体的に、空撮による俯瞰映像が多用されており、雄大な景色描写が印象に残りました。

ナンガ・パルバートがドイツにとって因縁の山であること、ヘルリッヒコッファーの事情、ラインホルト・メスナーとの対立がどうして裁判沙汰にまで発展したのかに関しては、劇中ではほとんど触れられていません。詳細は、非常に読みにくいですが、原作を読まれることをオススメいたします。


参考リンク
【映画】NANGA PARBAT (邦題「断崖のふたり」) (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)



2010年10月31日

[TV]情熱大陸 - 服部文祥

10/31 に放映された『情熱大陸』では、サバイバル登山家の服部文祥さんが扱われました。

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登山が趣味の人間として見た感想としては、ただ際立ったシーン、登山をしない人間から見たら「うわっ」となるようなシーンを繋いだだけの番組となっており、非常に残念でした。

山中での絵は狩猟シーンが中心となっており、あれでは登山なのか狩猟なのか、目的がわかりにくく、結局何を伝えたかったんだろう。登山家というよりは猟師に見えてしまい、本末転倒なのでは。



K2 遠征で見たポーターの強さへの憧れから始めたというサバイバル登山。少しでも自然に対してフェアでありたい、ずるをしない、自然に帰りたいなどの理由から装備を最低限に切り詰め、携行する食料は米と味噌のみ。あとは現地調達。しかしながら肉を食べるために猟銃は持ち込む。

鹿やイワナ、蛙を捕らえて食べる。生物の命を食し、生きていることを実感する。そして、夏に入った南アルプスの沢で 30m滑落して大怪我をする。カメラマンに助けられ下山する。これまで殺してきた命のためにもまだ死ねない。そして、子供や妻のためにも。



山中でのカメラは、ピオレ・ドールも受賞している登山家の平出和也さん。ヒマラヤの高峰でカメラを回しているだけあって、さすがのカメラワークでした。

他には岳人編集長の廣川さんへのインタビューがちらっと出ました。下界でのサバイバルはまだまだと切り捨てられていました。山の人にはありがち。

著作が素晴らしいだけに、新作の宣伝と穿った見方をされてもおかしくないような作りで、ちょっと残念でした。一応、視聴者の番組に対する感想 Tweet をざっくりとまとめてみました。

「TBS・情熱大陸『服部文祥』の回、感想まとめ」 (Togetter)


関連エントリー
[本]狩猟サバイバル - 服部文祥 (2009/11/28)
[本]サバイバル! - 人はズルなしで生きられるのか - 服部文祥 (2008/11/16)
サバイバル登山家 (2006/7/12)
290回 地平線報告会 (2003/10/24)

[TV]情熱大陸 - 木村大作 (2008/9/21)
情熱大陸 小林由佳 (2008/9/14)
情熱大陸 山野井泰史 (2006/6/14)
情熱大陸 小山田大 (2005/1/16)
情熱大陸 高桑信一 (2003/10/17)

関連リンク
服部文祥 (Wikipedia)
服部文祥(登山家): 過去の放送 - 情熱大陸 (TBS)



 
 
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